森下卓

MorishitaTaku.jpg 僕はプロ将棋というものを、羽生世代を中心に眺めているような気がします。その前になると谷川さんが飛び抜けて強かった世代で、塚田さんや森下さんや島さんはそのグループにいるイメージ。その前となると中原さんや米長さんや加藤一二三さん、その前となると大山さんや升田さん、それ以前は有史以前、といったイメージです。大山さんや升田さんとなると、もう伝説の世界の人なので「凄い」となるのですが、これが今まだ現役でいる40台後半以上の棋士となると、そうはなりません。今この瞬間の、あまり強くなくなってしまった将棋を見てしまうからなんでしょうね。昔、プロ野球で似たような体験をしたことがあります。ジャイアンツに堀内という伝説の剛球投手がいたのですが、幼少時の僕が見た堀内さんというのはもう引退間際ぐらいの時で、球も遅いし、けっこう打たれるし、とにかく印象が悪い。で、あとから全盛期のビデオなんかを見て「すごいわ」と思い直すという感じ。しかし思い直せたからいい方で、j実際には思い直さないまま良くないイメージのままの場合が多い。そんなわけで、森下さんに関しても、正直のところ、印象は良いものではありませんでした。電王戦の時も、「勝てそうな人に出て欲しいなあ」という感じで、実は良くなかった。イメージが変わったのは、電王戦以降の森下さんを見てからです。

 森下さんは、賭け将棋を生業としていた花村さんの弟子。花村さんの書いた棋書が古本屋にあって立ち読みした事があるんですが、なんかイカサマについてばかり書いてありました(^^;)。しかし森下さんの印象というのは、そういうのとは全く反対で、すごく人柄が良くてマジメで、どちらかというとお坊ちゃんという感じです。で、若かった頃はすごく強くて、棋戦優勝を8回もしているし、タイトル戦登場も6回あります…が、タイトルを取る事は一度も出来ず。理由は?谷川さんに敗れ、羽生さんには4度挑戦して、4度弾き返されています。これは相手が悪すぎる。で、そうこうしているうちに全盛期を過ぎてしまい、現在に至るという感じなんだと思います。その中での座右の銘が「淡々」だったそうで、これは少しわかる気がします。マイナスとプラスの両方を含まれているような言葉ですね。

 中国の古い言葉に、「失意泰然」というものがあります。字面通りに受け取るのなら、失意の時には落ち込むのではなく、泰然としていろ、という事。失意を味わった事のない人には軽く聞こえる言葉かも知れませんが、本当にどん底の気分を味わった事のある人なら、この言葉って胸に響くんじゃないかという気がします。僕は、この言葉に救われた事があります。失意が形になるときって、どういう状況なんでしょうか。極端な例を挙げると、自殺なんかは、そのひとつなんじゃないかと。自殺大国の日本ですが、自殺する瞬間の人の気持ちって、どんな感じなんでしょうね。完全な無気力に陥る事もあるんでしょうが、もっと多いのは、その前段階の絶望を味わった時に、自殺に踏み込むというのも多い気がします。もし自分の起こした会社がつぶれて、何億もの借金が覆いかぶさったら。一番信用していた家族や恋人から裏切られたら。自分の夢がかなわないという事が分かってしまったら。ガンに冒されている事を知ってしまったら。こういう救いがたい状況の時に、最初に要求される事って、具体的な対処より先に、最善手を冷静に考える事が出来る状態に自分を保つ事、つまり「泰然」とする事なんじゃないかと。森下さんの「淡々」という言葉は、これと似たものを指し示しているんじゃないかと。ある側面では失意のうちにある人の言葉だと思うんですが、しかしその中でも心を乱してしまわずに最善を行い続ける、これが「淡々」なんじゃないかと。本気で何かを成そうと頑張ってきた人が、5年努力し、10年努力し、20年努力し、しかしそれでも夢がかなう事はないと朧に分かってきてしまう…これって、人生の中間地点ぐらいまで来た人の多くに訪れる事になる、人生のひとつの壁なんじゃないかと思います。森下さんも、きっとそういう心境だったんじゃないかと。しかし、これが人間対コンピュータでプロ棋士が追い詰められる事になった電王戦をきっかけに変化します。

 きっかけはコンピュータ対塚田さんの一戦だったそうです。プロデビューから連勝記録まで作ってタイトルを取った塚田さんは、森下さんぐらいの世代の人にとっては羨望と嫉妬の両方が同居していた対象なんじゃないかと。森下さんの方が強いだろうに、森下さんはタイトルを取れずに将棋の世界の脇役で終わりそう。しかし塚田さんはタイトルを取ったという一点で将棋の歴史に名を残す。その塚田さんが、いま自分と同じように勝てなくなり全盛を過ぎ、しかしその状況でコンピュータに真剣勝負を挑みます。もう投げても誰も責めないというぐらいのひどい状況になってからも勝負を投げず、ギリギリのところで引き分けに持ち込んで涙を流します。これを見た森下さんは、電王戦の出場に手を挙げたそうです。1年後の電王戦で、森下さんは伝家の宝刀の矢倉でコンピュータに挑みますが敗退。この時、あまり練習対局をしなかったという内容の局後インタビューがあって、僕は「やる気がないなら立候補なんてするなよ」と思ったのですが、しかし引っかかっていた事がありました。負けとはいえ、この将棋の棋譜が素晴らしかったのです。これ、本当に準備なしで、全盛を過ぎてB2にまで落ちた棋士の残せる棋譜なんだろうか。順位戦B2以下というのは、これからB1やAに上っていく若手昇り竜と、どんどん落ちていくベテランが同居するランクなので、同じB2といっても棋力が同じわけでは全然ないんですよね。しかも降級は人数が決まっているので、弱くても何とかしがみ続けることが出来る。森下さんぐらいの年齢のB2クラスの人の棋譜って、正直のところひどいものも結構あります。しかし、森下さんとコンピュータの棋譜って、そんな所にいる人の指した将棋には到底思えませんでした。
 そして、後日談。「あまり練習対局はしなかった」というのは嘘で、

「努力しました」と練習をアピールしてしまうと、負けた時の実は電王戦に向けてもの凄い努力をしていたそうです。つまり、「努力しました」と言う事が、負けた時に人に頑張りを認めてもらいたいという、一種の言い訳や甘えという行動になってしまうのを嫌った行動だったんじゃないかと。努力していたであろうことは、電王戦の素晴らしい棋譜を見ても、電王戦以降の森下さんの勝率を見ても明らかです。そして森下さんは、座右の銘を「淡々」から「情熱」に変えます。…いやあ、口でいうのは簡単です。しかし挙体全真、これを身をもって実際に行為するところが素晴らしい。もう、夢潰えたかに見える所から再起を図るというと、映画の「ロッキー」なんかを思い出しますが、あれは映画であって、作り話。リアルで情熱をもってこれに取り組むという所に感動してしまいました。

 そしてこの前のNHK杯。森下さんは、20代唯一のA級棋士である広瀬さんに勝ちました。しかも完勝です。口だけで「情熱」なんて言っている人に出来る芸当ではありません。本当に、日々を情熱をもって将棋に打ち込んでいるんじゃないかと思いました。

 トップアスリートというのは、だいたい子供の頃からひとつの事をやってきた人で、しかも最初からトップであって負けの経験を知らない人というのが多い気がします。しかし、ほとんどの人は、負けを経験し、絶望を味わいながらも生きていきます。そういう人の方が、実は人生というものを強く経験しているように思えてしまいます。今の森下さんの生き方というのは、素直にお手本にしたいと思える、素晴らしいものと思っています。

行方尚史

photo_Namekata.jpg 5月末に、羽生三冠の王位への挑戦権をかけて行われた佐藤康光9段vs行方尚史8段。どちらも全勝という文句なしの戦いで、意外にも勝利したのは格下・行方さんの方でした。すごく興味がある人だったのですが、将棋を見始めてまだ半年の私は、恐らく棋譜すら見た事のない状態。そう思っていたところに、最新号の『将棋世界』にインタビューが載っていました。パラパラと流し読みだけするつもりが、読んでいるうちに感動してしまいました。

 行方さんは、プロ入り直後に、竜王戦のランキング戦/本戦でとんでもない快進撃をした事があるそうです。タイトルホルダーの郷田さんを破って本選出場を決め、本戦でも深浦、森内、米長という強豪を次々と撃破、ついに挑戦権をかけた羽生さんとの3番勝負にまで進出。しかしここで羽生さんに手痛い洗礼を受けて3戦全敗。ここから長い低迷が続きます。30代という、男が一番充実しているはずの時期が、苦汁の日々。前途洋洋に見えた若武者も、以降はタイトル戦への登場は一切なく、気がつくと後輩たちに抜かれ、40代になって…。行方さんは、自分の棋譜を振り返って、こう思ったそうです。「相手がミスするのを待つばかりの将棋で、自分から将棋を作れた事が一度もない。いつも変化球ばかりだ。後に残す価値のあるような棋譜など、ひとつもない。」自分はだらしがない。努力が足りない。プロ棋士になりたくて、12歳で単身上京した人生で、自分はいったい何をしたいのか。

 若い頃というのは、何でも出来る気がします。何にでもなれる可能性がある気がします。野球選手になりたければ、一生懸命練習して、チャレンジする時間と可能性がある。医者になりたければ、一生懸命勉強して、試験を受ける時間と可能性がある。しかし、30代、40代になってくると、もう間に合わない事、無理な事、こういうものが見えてきてしまいます。仮に今からプロ野球選手以上の実力を身につけたところで、プロに入る事は現実として不可能。今から医者になろうとしても、もう医師免許を取る事のできる年齢制限を過ぎています。仮に今から…。もう諦めるしかないもの、頑張ろうと思っても、もう間に合わないとしか思えず、頑張れなくなってしまうもの。こういう気持ちは、私には少しわかる気がします。

 しかし、行方さんはここで踏ん張ります。一度負けた人生、一度失敗したと思える人生でも、人生はまだ続いています。しかし、降りた瞬間、諦めた瞬間に、それは本当に終わってしまうのではないかと思います。こういう所で、諦めずにまた立ち上がる人を見ると、私は感動してしまいます。「後に残す価値のあるような将棋を」という観想など、もう諦めるところまで行った人でないと、なかなか見えてこないものではないでしょうか。

 そして…40目前になって、彼は破れかけた夢を、崩れかけた人生をひっくり返す事に成功したのではないでしょうか。王位戦の予選を勝ち抜き、本戦のリーグ戦を全勝、そして挑戦者決定戦ではあの佐藤康光9段を破るという快進撃。また、これがフロック勝ちでない事を、昨季の順位戦が証明しています。B級1組で10勝0敗、残り2戦を残した段階でA級昇格を決めています。

 そして、今季順位戦の1回戦では、郷田9段を倒して白星発進。そして7/10~11には、いよいよ羽生王位三冠との王位戦が始まります。もしこれに勝てば…彼は、自分の生き方に納得が出来るのではないでしょうか。死ぬ瞬間にも後悔することなく「俺は羽生さんを破って王位に立つことが出来たんだ」と。
 しかし、将棋の指し手に、熱い想いとか、そういうものは関係ないでしょう。問題は、その思いを、どのように指し手に反映させるか。羽生さんというのは、ちょっと異次元というか、あまりに高い壁かもしれません。それでも、あきらめず、前のめりになって、自分の人生を将棋の指し手に仮託して、精一杯頑張ってほしいと思います。

村山聖

photo_Murayama.jpg 私は観戦するより自分でやる方が好きなタイプの人間のようです。音楽もスポーツも観戦するより自分でやる方が好きです。将棋も、その傾向にあるようです。
 そんな私が、観戦が好きになる時があります。あり得ないぐらいの飛び抜けた技や知を見せつけられた時と、人間として全てをぶつける姿を見せつけられた時に、それは起こるようです。「挙体全真」という言葉がありますが、演技ではなく、また言葉ではなく、行動として自分の全てをぶつける姿を見ると、感動してしまうのです。プロの将棋が好きになったきっかけは、羽生さんや升田さんの信じられないような好手を見た時と、村山聖さんという棋士を知った事が大きかったように思います。

◆◆◆◆◆◆

 羽生さんと同世代の棋士である村山さんは、子供の頃に難病にかかり、少年期の多くを小児病棟で過ごしたそうです。昨日まで遊んでいた隣のベッドの子供が、夜中に急に容体が悪くなって連れ出され、そのまま部屋に帰ってこない。死を正面から見つめざるを得ない、この閉じた空間が彼の生きる世界でした。彼は、髪や爪を切るのを嫌ったそうです。「なぜ生きているものを切り捨てなければならないのか」。死に直面してきた人しか持ち合わせないような観想です。
 そんな少年は、将棋に出会って、没頭していったそうです。就寝時間になっても止めないものだから、将棋盤を没収された事もあったそうです。閉じた世界に生きる少年にとって、将棋は希望の光だったのかも知れません。夢は、名人になる事と、名人になって将棋をやめて、奥さんを貰って子供を産む事。つまり彼の命題は、生きている間に何をするのかという事と、生を次につなぐ事です。死ぬまでの時間との闘い、駆け引きです。
 将棋のプロになるためには、奨励会に所属し、そこで勝ち抜けなければならないそうですが、彼はこの奨励会を3年弱という異例のスピードで駆け抜けます。これは、谷川さんや羽生さんでも敵わない速度だそうです。プロ入り後も驚異の速度で勝ち続け、異例の速度で将棋界最高の階級であるA級に登りつめ、2大タイトルのもう一方である竜王戦も1組にまで登りつめます。
 しかし難病を抱えている為に不戦敗も度々で、看護士立ち会いのもとでの対局もあったそうです。彼は更に癌を発症、手術するも再発、子供の頃に病室で夢見た名人への挑戦にすぐそこの所まで登りつめながら、その夢を果たせぬまま29歳の若さで逝去しました。

◆◆◆◆◆◆

 プロの将棋に興味を持つようになったきっかけのひとつは、村山さんだと思います。プロの方の棋譜はどれもこれも「どういう思考回路や知識を自分の中に作れば、この1手が思いつくようになれるんだろうか」と思わされる手が1局中に何度も出てきます。そういう意味で、全てのプロ棋士の方が好きではあるのですが、しかし人間的な魅力というとまた別の話です。村山さん以外では、羽生さん、升田さんといった人には強烈な魅力を感じます。この3人は、私にとっては、ちょっと特別です。


プロフィール

ShougiX

Author:ShougiX
駒の動かし方を知っていた程度の初心者です。せいぜい1日1時間ぐらいしか将棋に時間を割けない社会人が、ガンバって1年で初段になる事が目標です!
(*追記)10ヶ月ちょいで初段到達!!ただいま、居飛車側から各戦型に対応できるよう奮闘中(汗)。。

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